大ヒットドラマ『信長協奏曲』。
その中で、向井理さんが演じているのが池田恒興(いけだつねおき)です。
ドラマの中で、織田信長と入れ替わったサブロー(小栗旬)は、“つねちゃん”と親しく呼んでいますね。
実際に、織田信長と池田恒興は乳兄弟。
幼少の頃より親しく、主従の関係はありながらも2人は兄弟のように育ちました。戦国の世にあって、恒興は信長にとってとても大事な存在だったに違いありません。
それでは改めて、向井理さんが演じる池田恒興がどんな人物だったのでしょうか。
ドラマ『信長協奏曲』の中の池田恒興の役柄
愛称「つねちゃん」。
一度は信行側につきサブロー暗殺に荷担もしたが、サブローが時折話す断片的な史実を大望と勘違いして感銘を受け、以降は補佐に回るようになる。
サブローを諫める役にはあるものの、常識人なため振り回され、苦労が絶えない。
サブローからは「恒ちゃん」と呼ばれる。
信行が切腹した後、自らも裏切りを詫びて切腹しようとするがサブローに止められ、以後の忠勤を誓う。
向井理さんプロフィール
むかい おさむ
1982年2月生まれ、神奈川県横浜市出身。
身長 182㎝
O型
《主な作品》
映画
・ガチ☆ボーイ
・BECK
・Paradise Kiss
ドラマ
・ハチミツとクローバー
・アタシんちの男子
・メイちゃんの執事
・ゲゲゲの女房
・江~姫たちの戦国~
歴史上語られる「池田恒興」という人物
(引用:http://www.city.okayama.jp/)
池田恒興(いけだ つねおき)
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文5年(1536年)
死没 天正12年4月9日(1584年5月18日)
氏族 池田氏
父母 父:池田恒利、母:養徳院
生涯の間つかえた主君
織田信秀(信長の父)→織田信長→織田信忠(信長嫡男)→織田秀信(信忠嫡男・信長嫡孫)→羽柴秀吉
池田恒興の生涯
1536年 尾張織田氏家臣・池田恒利の子として誕生
母の養徳院は織田信長の乳母で、のちに信長の父・織田信秀の側室となる。
幼い頃から小姓として織田氏に仕える。
信長と恒興は要するに乳兄弟。幼いころから兄弟のように育ったんです。
1560年 桶狭間の戦い(織田信長 vs 今川義元)
今川軍の25000兵に対し、織田軍は2000兵~3000兵。
数では圧倒的に劣勢な戦いでしたが、
見事、織田軍は今川義元の首を取り勝利したとされています。
日本三大奇襲(日本三大夜戦)に数えられる日本の歴史上有名な戦いである。
1565年~1566年 美濃攻略(織田軍 vs 斎藤軍)
1570年 姉川の戦い (織田・徳川連合軍 vs 浅井・朝倉連合軍)
この時、恒興は織田軍の第二段を担当。
ところが、浅井軍の先鋒・磯野員昌隊に散々に陣を打ち破られた。
実際に13段あった織田軍の11段まで破られたという。
恒興も討ち死にを覚悟したが、徳川軍の奮戦や美濃三人衆の活躍もあり、織田軍は辛勝する。
犬山城主となり1万貫を与えられた。
1571年 比叡山焼き討ち (織田軍 vs 比叡山山門衆)
★信長は民衆の心の拠り所としての宗教の存在は
必要不可欠なものとして考えいましたが、
その宗教があるべき範疇から逸脱して政治に口出したり
武装したり高利貸しをしたりする事に強く反発していました。
そしてその腐敗堕落した宗教界を一新して
本来のあるべき姿に戻すべきだと考えていたのです。
1570年~ 長島一向一揆(本願寺勢力 vs 織田軍)、
1573年 槇島城の戦い(織田信長 vs 足利義昭)
義昭が敗れて京都から追放され、室町幕府は実質的に滅亡した。
1574年 武田勝頼に奪われた明智城の押さえとして、東濃の小里城に入る。
1580年 花隈城の戦い
信長に大いに気に入られ、どちらかと言うと出世コースを歩むかに見えた荒木村重でしたが、天正六年(1578年)10月21日、突如として反旗を翻し、居城の有岡城(兵庫県伊丹市=伊丹城)に籠ってしまいます。
恒興はその支城であった花隈城を攻略し、1年後には村重逃亡により摂津が平定され、その旧領12万石を恒興が引き継ぐことになった。
1582年3月 織田・徳川連合軍による甲州征伐では、二人の息子を出陣させる。
本人は摂津の留守を守るよう信長から命令された。
同年6月2日 本能寺の変にて信長が家臣の明智光秀に討たれる
1582年 山崎の戦い
中国攻めから引き返した羽柴秀吉に合流し、兵5,000を率いて右翼先鋒を務めて織田信長を討った明智光秀を破り、織田家の宿老に列した。
1582年 清洲会議(愛知県清須市)が行われる
織田家の後継を巡る会議である。
恒興は柴田勝家らに対抗して、秀吉・丹羽長秀と共に信長嫡孫の三法師(織田秀信)を擁立する。
領地の再分配では摂津国の内大坂・尼崎・兵庫において12万石を領有した。
1583年 賤ヶ岳の戦い
秀吉はこの戦いで柴田勝家を破った。
池田恒興は美濃・大垣城主として13万石を得た
1584年 小牧・長久手の戦い
徳川家康・織田信雄との小牧・長久手の戦いでは、去就が注目されたが結局は秀吉方として参戦した。
勝利が成った際には尾張1国を約束されていたという。
1584年5月 長久手にて長可と共に戦死(享年49歳)
家康の本拠三河国を攻めようとしたが、合戦の前半で鞍に銃弾を受け落馬したことが災いとなった。
戦死の状況は、永井直勝の槍を受けてのものだといわれている。
嫡男の元助も共に討ち死にしたため、家督は次男の輝政が相続した。
遺体は一時遠江国新居に葬られたが、後に京都・妙心寺の慈雲院に改葬されている。
墓所の一つである岐阜県揖斐郡池田町・龍徳寺
この墓所には恒興・元助父子の墓の他、長久手の戦で共に戦死した家臣片桐興三郎、吉田甚内の墓、梶浦平七郎他23人を供養した忠烈塔などがある。
まとめ
“つねちゃん”こと池田恒興。
ドラマ『信長協奏曲』で向井理さん演じる池田恒興の役柄は、とっても生真面目で誠実。
信長に一身を投じ忠誠を守っています。
信長の合戦にすべて参陣したといわれる池田恒興。
派手な印象こそありませんが、幼いころから信長のもとで天下泰平の世を目指し共に戦い、忠義に尽くした実にかっこいい武将と言えます。
この役を演じる向井理さんのイメージによく合ってるな~なんて思ってます^^/
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